水鯨の航海日記

珈琲館 禁煙室

私たちが珈琲館禁煙室に訪れたのは2019年の2月のこと。

喫茶継承活動をする傍ら、個人的に喫茶巡りの旅をしていた時に出会った喫茶店が『珈琲館 禁煙室』でした。

金沢の老舗純喫茶で、東茶屋街の近くにお店は在りました。

外観は日本家屋ですが入口はレンガ造りという不思議な造りにも関わらず、うまく調和がとれていて入る前からワクワクさせられました。

扉を開けると薄暗い店内で、緑に輝くステンドグラスとカウンターの青タイルが明るく光っていました。

その綺麗さに感動したことは今でも鮮明に覚えています。

カウンターの吊り戸棚は今はもう作れる職人さんがおらず、大学の教授が生徒を連れて見学に来ることもあったそう。

青いタイルはイタリア製で、発色もさることながら分厚くて頑丈。

天井からぶら下がる年季の入ったランプには金沢名物の九谷焼のオブジェがついており、細部まで凝っているのが見て取れます。

カウンターは今ではなかなか手に入らないラワン材を使った分厚い板で、手前のなだらかなアーチは肘を置きやすい造りになっています。

見た目の美しさだけではなく、機能性も兼ねた調度品に囲まれた店内。

あまりの感動にドキドキしながらテーブル席につき、フリルのグラスが特徴的なクリームソーダを注文しました。

常連さんと楽しそうに話すマスターとママさんの雰囲気も素敵で、当時、妻と「いつかこんな喫茶店を開けるといいね」と話していました。

旅が終わり、引き続き喫茶継承活動を続けていたある日のこと。

2020年の12月末に禁煙室が閉店するという知らせを耳にしました。

その知らせが信じられず、再び禁煙室に訪れママさんとお話ししました。

出来ることなら私たちが移住してでも後を継ぎたかったのですが、閉店する理由は一つではなくとても複雑なものでした。

理由の一つであった、耐震工事のための取り壊しも決まっており、ママさんと不動産屋さんとのお話を重ね、禁煙室の調度品を大阪で受け継ぐこととなりました。

全国のお客さんから惜しまれつつ閉店した禁煙室。

「禁煙室の名前は金沢の地で終わりにしたい」というママさんの想いもあり、私たちが喫茶継承活動で使っていた「喫茶 水鯨」をお店の名前として使うことになりました。

取り壊し工事の日程も決まっていたため、どこまで内装を外せるか、そこからは時間との戦いでした。

知り合いの木材職人、barbaさんと禁煙室に通い禁煙室の内装レスキュープロジェクトが始まりました。

2021年の1月から2月にかけて行ったレスキュープロジェクトはそう簡単なものではなく、雪の中トラブルも多く起きました。

今思うと洗礼だったのかな、とも思います。

吹雪の中、調度品が壊れないことを第一に考え運搬を行いました。

寒い中、いつも心配して見に来てくださったママさん。解体作業の中振る舞ったコーヒーとプリン。

調度品を運び切る最後の最後まで、ママさんは私たちにエールを送り続けてくださりました。

そうして無事、調度品を大阪に持って帰ることができました。

大阪での物件探しは、43年使われ続けた調度品が馴染むよう、なるべく調和のとれそうな場所を探しました。

そうして見つかったのが旧川口居留地跡に建つ川口アパート。

歴史ある川口基督教会の向かい側に建つ物件でした。

決め手となったのは、川口アパートの並びに在ったという、関西最古の喫茶店「カッフェーキサラギ」の存在です。

今はもう存在しませんが、関西最古の喫茶店の並びで喫茶店を始めれたら、という想いから川口アパートに移築することを決断しました。

元の姿を保ちつつ、これからも長く使えるよう調度品のリペアをし、barbaさんと工務店の方との話し合いを重ねて内装を取り付けていきました。

そしてオープンした「喫茶 水鯨」

建物内の構造に違いはありますが、なるべく禁煙室の姿を残せるよう、調度品の配置などを再現しました。

ママさんが運搬の最後に言ってくださった「私たちよりも長くお店を続けてね」という言葉を励みに、これからも喫茶水鯨としてお店を続けていきます。

石川県金沢市に在った『珈琲館 禁煙室』

こんな素敵な喫茶店が在ったことをより多くの人に知ってもらい、

43年間大切に使われてきた調度品を後世に繋いでいけたら幸いです。