神戸は花隈、駅から住宅街へ向かって坂をのぼると
坂の途中に突如オレンジ色がよく目立つボックスタイプの看板が顔を出します。
マンションの1階部分にあるお店の前に到着すると、
レースのカーテンがかかったアーチ型の窓や
「セリナ」の文字が書かれた青いサンシェード、
長年かけて育ったであろう大きな木や植木鉢に囲まれた
喫茶店好きの心をくすぐるお店が佇んでいました。
お店の中に入ると木製のアーチと青色にまみれていて
胸が躍ったのを今でも覚えています。
セリナの閉店を知ったのは2021年の春のこと。
理由は耐震工事の為で
大きなマンションごと取り壊しされることが決まっていました。
創業46年のセリナはマスターとママさん2人で切り盛りされており、
お店自体は過去にいろんな方が経営されていたようで
近藤夫妻は4代目の店主。
しかし、近藤夫妻以外の方は長くは続かなかった為
セリナ創業50年中、46年は近藤ご夫妻で経営をされていたそうです。
昭和46年(1971年)に近藤ご夫妻が経営を始めた頃はコーヒーが一杯180円の時代。
出前や来店客に溢れ、毎日本当に大変だったと近藤さん。
お話している途中、店の中にたくさん立てかかっていた木製の登山ポールに目がいきました。
それを見た近藤さんが「山はほとんど制覇したよ」とお話ししてくれました。
週一のお休みの日はどんなに疲れていても必ず奥さんと山登りに行っており
関西百名山も残り2つで制覇するそうで。
(残り2つの内、1つは女人禁制だとか…)
休みの日はお店から離れて息抜きするのが夫婦2人でやっていく秘訣なんだと
そう言っているように私には感じました。
70代とは思えない元気さや背筋の良さも
登山で鍛えられたものなのかなと今では思います。
(後日近藤夫妻と私達家族で登山に行った際に
マスターの足の速さには本当に驚きました。)
話は逸れましたが…
ママさんがお店で「書いてね」と渡してくれたお店の感想ノートには
閉店を惜しむ声、あたたかい言葉がパンパンに書かれており
セリナという喫茶店がどれほど多くの方に愛されていたのかが伝わってきました。
耐震工事が決まっていたので
閉店は止むを得ず、
ただ、最後の最後までご夫妻はお店に立ち続けて
笑顔でお客さんを迎えていました。
閉店の日にはたくさんの方が訪れており
無くなってしまうことが信じられず
必死に目に焼き付けたのを忘れません。
閉店後
セリナという喫茶店があったことを残す為、
レスキュー活動として
テーブルや椅子、パーテーションやカーテン、
看板、ドアベルやレジなどの調度品を保存させていただくことになりました。
その他の調度品もお客さんやお店をされる方が引き取られると聞いており
マスターと一緒に次の持ち主に喜んでもらえるようにと調度品を磨いた夏の日。
もう3年前のことですがとても鮮明に覚えています。
セリナという喫茶店は
近藤夫妻の人柄があってのお店で
お二人が作り上げた空間はお客さんの中ではずっと残り続けるものだと思います。
セリナのお客さんとして通うことができたこと、
閉店のお手伝いができたこと、
少しでも調度品を残せたこと。
悲しさもいっぱいですが、
少しでもお店の最後に携われたこと
感謝したします。
今後セリナの証を後世に残していけたらと思います。
調度品のお披露目ができる日まで
私達も近藤ご夫妻のように頑張ります。